倉敷道院のみんなへ naka-pom徒然 第2弾
合掌
お疲れ様です。
昨夜の第1弾記事、いきなり何を…だったかもしれない。
その背景、説明させてほしい。
今でこそこんなだけど、30歳まではある意味真面目過ぎて周りに合わせようとし過ぎて壊れてしまう典型でした。
親や祖父母、学校の先生は当時の時代背景もあったかもですが、休む/遊ぶは怠けで悪いことでそれより勉強優先という価値観強かったです。
宿題も全力で取り組んだし授業も内容全部聞かなきゃって必死でした。
それでいて高学年→中高大学となっていったとき授業中はしんどくてずっと居眠り、家に帰ってもやらなきゃの気持ちが空回りしながら身動きが取れない、或いは勉強に打ち込めないけどモヤモヤするからゲーム(当時はスーファミ/プレステなど)をダラダラな状況しかないぐらいでかなりヤバかったです。
そんな状況で中学受験(一応高校の内部進学試験も学年4位)大学受験で大勝ちできたのはたまたま一部科目の勉強を遊びのノリで取り組めたからでした。
特に大学受験対策はその分、科目ごとの結果も偏りました。
で、大学入ったらいよいよごまかしが効かず、社会も甘くなかった。
新潟時代、心療内科のカウンセリングで当たりくじ引いてなかったら引きこもりになってるか、今こうやって生きてるかすら怪しいです。
それと、大きかったのは社会人最初にお世話になった新潟赤道道院の良寛先生と門下の皆様でした。
学生時代に4段になってからの転籍だったのもあり色々チヤホヤしてもらいましたが、一見強面で実はお茶目で車大好きな道院長や素敵な大人拳士の皆さんたちに鍛えてもらったのは、自分の頭で考えてみんなの練習を組み立て、場合によっては大会などで成果を披露するということでした。
お別れして長らく立ちましたが、参与道院長になったあと銀帯の袖章を倉敷道院以外では真っ先に赤道で生披露したいです。
当時は分からなくて今になって気づいたんだけど、若い時、幼い時は自分で本当に成果を出すための頑張り方を知らなくてただやみくもに頭と心を酷使してにっちもさっちもいかなくなってる人生だったなと。
それから倉敷道院について、道院長との出会いは大学3年、本部武専の2年で担任でした。
毎月本部に連れてきてくださった大学の監督からどんな先生か教えてもらい、またもう一方の担任の先生とのコンボはすごく楽しくて大学生活で悶々としてるときにふと思い立って押しかけてみました(黒歴史w)。コメントで突っ込めますが、こちらで承認ポチらないと表示されないのでご安心ください。
今倉敷市や岡山県下で道院長・支部長されてる先生の中にも当時倉敷道院で可愛がって下さった先生方が結構いらしてます。
今、それなりに人生送れて色々知ってメンタル立て直せたのは良き縁に恵まれたなと。
そして、先生としてその縁を君たちに送っていきたい。